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ポマール・アン・ブレスキュル[2015](赤)
ドメーヌ・ユベール・リニエ 1880年頃、ジャック・リニエがモレ・サン・ドニのいくつかの畑を獲得しドメーヌはスタート。
以降、息子ジュールが引き継ぎ、その後アンリとユベールと続き、60年代にはドメーヌは 8ヘクタールに届くまで拡大。 1992年には、ユベールの次男ロマン・リニエがユベールと共 に働くようになり順調な進化を続けてきたが、 ドメーヌの将来を託されたロマン・リニエが 2004年に他界。 以降、老匠ユベール・リニエが引退を撤回して奮起し、 ビショで働いていたもうひとりの 息子ローランもドメーヌに戻り、ドメーヌ・ユベール・リニエの新時代が始まった。 ロマン亡き後、ロマンの妻とドメーヌの畑を折半耕作し始めたためユベール・リニエ本人は 収穫の3分の1しか受け取れず、 買いブドウによるネゴシアン・ビジネスも平行させること で需要に応えるしか手だてがない時代が続いた。 2014年、この折半耕作の契約が解消され、元々のドメーヌの畑が100%戻ってきた。 畑の管理もドメーヌで行えるようになり、2014年からは満足のできる生産を再開してい る。 このお披露目に2016年秋にはローランが日本へ来日し、生産者セミナー、イベント を実施。ドメーヌ・ユベール・リニエの完全復活となった。 かつてはリッチで凝縮感が高く、新樽の香りも強かったユベール・リニエのワインだが、故 ロマンがスタイルを微調整し、 バランスのよいものに仕上げてからというもの、昔のユベー ル・リニエを支持していたアメリカ市場だけでなく、 世界的に高い評価を受けるようにな っていた。 ロマンが他界し、ユベールが現場に返り咲いた時もスタイルを過去に戻すことはせず、 バランス重視の姿勢を堅持しているのは、あまりに早くこの世を去った息子へのオマー ジュだろう。 特級クロ・ド・ラ・ロッシュとジュヴレ・シャンベルタン1級のオー・コンボットの一部はすで に返還され、 栽培から本家の手によって造られるようになっている。 またポマールやニュイ・サン・ジョルジュに新しい畑を手に入れ、ポートフォリオは充実中。 悲劇を乗り越え復活したドメーヌの新時代に更なる期待が高まる。
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