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シャンボール・ミュジニー1Cru シャルム[2015](赤) フェヴレ
若き当主を迎え、さらなる進化の道を歩むブルゴーニュのドメーヌ的グランメゾン!!
ニュイ・サン・ジョルジュに本拠を置くフェヴレ社は、1825年の創立から7代にわたって続くグラン・メゾン。 4代目のジョルジュ・フェヴレは、かの有名なコンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タストヴァン(利き酒騎士 団)の創設者のひとりとして知られ、オスピス・ド・ニュイ・サン・ジョルジュのキュヴェにも、レ・サン・ジョル ジュ・キュヴェ・ジョルジュ・フェヴレとしてその名を残しております。 フェヴレが数ある他のネゴシアンと一線を画するのは、その広大な自社畑から造られるドメーヌもののワ インが、全生産量の8割を占め、コート・ド・ニュイ、コート・ド・ボーヌ、そしてコート・シャロネーズまで、合わ せて120haもの自社畑を所有し、シャンベルタン・クロ・ド・ベーズやエシェゾーなどグラン・クリュに10ha、ニ ュイ・サン・ジョルジュのレ・サン・ジョルジュやジュヴレ・シャンベルタンのクロ・デ・ジサールなどプルミエ・クリュ に25haの畑をもっております。 ひとつのクリマの面積は平均して1haと決して大きくはないが、それだからこそクリマごとに手の込んだシュ ール・ムジュール、すなわちオーダーメイドのワイン造りを行うことができるのです。 フェヴレが所有する120ヘクタールの自社畑のうち、半分以上の68ヘクタールはコート・シャロネーズに位置 する。フェヴレ家がこの地域の潜在的な可能性に気付いたのは、第一次世界大戦と世界恐慌により産 地が疲弊していた1933年のこと。 この年にジョルジュ・フェヴレが賃貸耕作を始め、1963年には5代目のギィ・フェヴレがメルキュレイに最初の 畑を購入。その面積を徐々に増やし、今日、ジヴリィ、リュリィ、モンタニー、ブーズロンまで、コート・シャロネ ーズ全域に版図を広げた。メルキュレイ・プルミエ・クリュ・クロ・デ・ミグランをはじめとする数々のモノポール (単独所有)畑を手に入れ、コート・シャロネーズならフェヴレとまで言われるまでに成長。
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